雨の日は標本を眺めながら、取り留めのないことを考える。
手元にあるのはマルタンヤンマとムカシヤンマ。
マルタンヤンマは、未熟なうちは雌雄同じ色をしているが、
成熟すると雄は黒化し、胸の黄色い帯と複眼が目の醒めるような
コバルトブルーに変わり、雌とは全く外見が異なる姿となる。
一方、ムカシヤンマは雌雄同色で、これは成熟しても変わらない。
程度の差はあれ、トンボは頭部の大部分を複眼が占めている。
これは普通に考えれば、感覚の多くを視覚に頼っている証拠だ。
キリギリスは複眼が小さい代わりによく発達した耳を持ち、
(但し、耳は頭部にあるとは限らない)雄は自らが出す音で雌を呼ぶ。
ガは、視覚よりも、発達した触覚でキャッチする雌の匂いを元に暗闇を舞う。
カブトムシやクワガタは雄のツノやオオアゴについ関心が向くが、
これは感覚器官ではないので、実際には触覚で世界を認識しているのだろう。
これらの例をみてみると、視覚よりも臭覚や聴覚に頼っている昆虫は、
雌雄の色形が同じものが多い。(クワガタ、カブトは形は違うが、色はほぼ同じ)
これは色彩や形でで雌雄を区別する必要がないからだ。
いっぽう、トンボは視覚の昆虫なので、
マルタンヤンマのように雌雄の色形が異なることには納得できる。
しかし、ムカシヤンマやヨツボシトンボ、オニヤンマのように、
色形が殆ど変わらない種類がどうして存在するのだろうか?
視覚の世界には、色形のほかに「動き」という要素がある。
なので色形は同じでも、雄は動きによって雌を見分けることは可能だ。
しかし、動きに加えて色彩も違っていたほうが、
より雌雄が出会える確率が高くなるのではないか??
これには雄の探雌行動の様式が深く関わっているんじゃないかと感じているが、
まだ明快な答えは導き出せていない。
長雨の暇潰しにはちょうどいい思考の遊びだ。