トンボの日々

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カテゴリ:つぶやき( 198 )


2017年 12月 07日

ガの魅力

夏に山梨の無人駅で拾ったもの。

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おそらくタケカレハ雄と思われる。
たまたま静止姿勢のまま死亡していたので、そのまま乾燥させ標本に。

ガという昆虫は、実に魅力的なグループだと思う。
まずはその種類の多さ。他の昆虫に比べて愛好家の絶対数が少ないのであまり研究が進まず、未知の種
が多く存在すると言われている。普段生活している世界に、未知のガが飛んでいると思うと楽しい気分
になってくる。
そして昼間に活動するチョウと比べて、姿形のバリエーションが多彩なのも特徴だ。中には体長が数ミ
リのグループもあり、身体の構造が同じはずのチョウにはこのような超小型種がいないのも不思議。

静止する姿が様々なことも、ガの魅力のひとつ。画像のタケカレハも、静止している姿は一般的なガの
イメージからはかけ離れている。生時の静止姿勢こそ、ガの最大の魅力だと思うのだが、静止姿勢をメ
インに扱った図鑑が少ないのが残念だ。

一説によると、夜行性のガの中から昼間に活動するチョウが分化した、といわれているが、なるほど、
そのバリエーションの豊かさからすると、チョウは「昼間に活動するガの一群」と考えたほうがしっく
りくる。

ガの深遠な世界にはまってしまうと戻れなくなりそうなので(食草との関係を憶えるのも大変)二の足
を踏んでいるが、好きなガとの出会いは常に期待している。

来年も良い出会いを夢見つつ、タケカレハの標本を眺める毎日。





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by brunneus | 2017-12-07 23:56 | つぶやき | Comments(0)
2017年 11月 26日

異端

トンボと呼ばれる昆虫は、大きく分けてイトトンボ類に代表される均翅類と、トンボやヤンマに代表さ
れる不均翅類に大別される。かつてはムカシトンボ科は均翅でも不均翅でもない独自のグループ、とさ
れていたが、最近は不均翅類に含められるようだ。
そして均翅類は前後の翅の形がほぼ同じで身体が細長く、翅を閉じて静止する(アオイトトンボ科の種
などは半開き)、不均翅類は前後の翅の形が異なり、翅を開いて静止する。
これは子供向けの図鑑にも書いてある、常識的な事柄だ。ただし、これは「日本国内での常識」だが。

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これはオーストラリアに分布する、Cordulephya pygmaeaというトンボ。
分類としてはエゾトンボ科に近いのだろうか、この種が含まれるグループの日本名は、まだ無いようだ。
小型のサナエトンボとエゾトンボを足して二で割ったような形をしているが、このトンボが特異なのは、
不均翅類であるにも関わらず前後の翅の形が似ている点。そして極めつけは、物に止まる際にイトトン
ボのように翅を閉じるのだ。現地では「Shutwing」と呼ばれていて、まさにその静止姿勢が名前の由
来になっている。

「不均翅類は翅を開いて止まる」と子供の頃から信じて疑わなかったのだが、このトンボを知った時は
衝撃だった。どんな生き物にも、その種が属するグループからはみ出した「異端者」があるが、それを
知った時、ショックと共に、世界の広さと自分の意識の狭さを嫌と言うほど実感する。

Shutwingたちは、どこでどんなふうに暮らしているのだろう。
いつか、その姿をこの眼で見てみたい。






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by brunneus | 2017-11-26 22:39 | つぶやき | Comments(0)
2017年 11月 16日

斜め上

昨年後半から、採集したトンボを斜め上の角度から撮影し始めた。今年は春から全ての種で斜め上撮影
を実行し、だいぶ充実してきた。

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この角度からは正確なトンボの形態は分からないが、立体的に斑紋の繋がりが見られる点が気に入って
いる。
今年は残念なことに春のトンボの出会いが少なく、アオサナエ雌、ムカシヤンマ雌、サラサヤンマ雌の
写真が撮れていない。来年は出会えるだろうか、、。







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by brunneus | 2017-11-16 18:35 | つぶやき | Comments(0)
2017年 11月 03日

台風の恵み

先日のスナアカネポイント。
時間はあまりなかったが、首尾よく目的を達成後、せっかくなので30分だけ砂浜へ。
到着後、まず目に入ったのがこれ。

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巨大なワタリガニ。近くにはこれまた巨大な鋏脚。

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おそらく同じ個体のものだろう。このカニの名前はノコギリガザミ。国内には「トゲ」「アミメ」「ア
カテ」の3種のノコギリガザミが分布するというが、この個体はどれにあたるのだろう。南西諸島では
馴染み深いカニだが、未だ野外で野外で見たことがなかった。

砂浜を見渡すと、台風の影響かあちこちに漂着物がある。そのひとつを何気なくひっくり返すと、何か
が蠢いた。

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イシガニ!

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長年の憧れであるワタリガニの仲間では、今まではミナミベニツケガニしか採集したことがなかったの
だが、これで2種目。イシガニも成長するとかなり大型になるのだが、運良く持ち帰るのに手頃なサイ
ズを入手できた。

調子に乗って手当たり次第に漂着物をひっくり返していくと、時々出て来たのがこれ。

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テッポウエビの仲間。残念ながらみな死亡していたので色彩は分からない。この仲間の武器は、この異
形の鋏脚。

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特殊に進化した鋏部分を水中で勢い良く打ち合わせ、その衝撃波で餌となる生き物を気絶させるという
技を持つ。
ハサミシャコエビ、スナモグリ、アナジャコ、そしてこのテッポウエビの仲間は、どれも石の下や干潟
の泥、砂の中に棲む、エビのようでエビとはどこか異なる雰囲気を持つ独特なグループ。表舞台に出る
事のない、いわば海辺の裏世界の住人だが、その怪しい魅力に捕らえられつつある。
テッポウエビの仲間は類似種も多く、手軽に調べられるツールもないので、得た個体が何テッポウエビ
かは不明。沢山見つかるくらいなので、普通種であるイソテッポウエビあたりかな、と睨んでいるのだ
が、、。

その他はあちこちにこのカニの死骸。

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モクズガニ。繁殖を終えて力尽きたのだろうか。立派なサイズの雄が多かった。
最後に大物。

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アカエイ?
ここで時間が来て、撤収。

台風は、もちろん人間にとっては多くの被害を出す存在だが、生き物好きにとっては、思わぬ出会いを
もたらしてくれる、ありがたい存在でもある。
この日は、そんな台風の「恵み」を存分に味わうことが出来た。


そしてスナアカネ。
その後都内の候補地数カ所を巡ってみたが、姿は見られず。どうやらこの日に運を使い果たしてしまっ
たようだ。






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by brunneus | 2017-11-03 23:04 | つぶやき | Comments(0)
2017年 10月 28日

ふたつの憧れ

長雨の間に、再びぽっかりと晴れの日がやってきた。
スナアカネはこれがラストチャンスかもしれない。いくつかある候補地の選択に迷った末、仕事の前に
ふらりと、、、と言うにはいささか強行軍の場所へ行ってきた。

午前10時半にポイント着。天気は快晴。まだまだ勢いを失わない太陽の光で、気温はぐんぐん上がっ
ている。頭上にはウスバキトンボの群れ。昆虫が少なくなった国立界隈では考えられない光景だ。
池にもトンボは多い。最も目に付いたのはこのトンボ。

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コノシメトンボ。
スナアカネを実際に見たことがないので、真紅のコノシメトンボが舞い降りるたびにどきりとする。ほ
かにはアキアカネも多いが、中には妙に赤く見える雄もいて、目移りしすぎてわけが分からなくなる。

池を何周もするが、スナアカネと確信がもてる個体には出会わない。やはり無謀な採集行だったか、、
と音を上げそうになった時。

足元に、今までとは明らかに違う、小振りの真紅のトンボが舞い降りてきた。怪しさ満点だ。とっさに
ネットを被せる。

ネットの中で暴れるアカネの胸に、二筋の白線、、。



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スナアカネ雄!
来て良かった、、、。まだ残っていてくれたのだ。手にしてみると、勝手に想像していたよりも遥かに
小さいことに驚いた。感覚的にはマユタテアカネくらいだろうか。

これでこの日の目的は終了。しかしまだ少し時間があるので、いないとは思うが追加の個体を求めて池
を巡ると、少し先の水際で何かが動いている。どうせ暖かさに誘われて出てきたアメリカザリガニだろ
う、と期待もせずに近付くと、全身に電流が走る。これは、、、!

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オオヒライソガニ!!

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大海原で浮遊物にしがみついて漂流し、陸地に到着すると川を遡って淡水で生活する、という珍奇なカニ。
そしてこのカニの最大の特徴が、この毛深い脚。

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泳ぎが達者なカニは第四歩脚がオール状になったワタリガニの仲間が有名だが、オオヒライソガニは、
この長く伸びた毛が遊泳を助けているのだろう。

数年前にインターネットでこのカニの存在を知って以来、風変わりな風体と習性に一目惚れし、出会い
を願い続けていたのだった。情報によると「海岸近くの水田や川、池沼に棲息」という曖昧なことしか
書かれていないので、途方に暮れていたのだが、まさかこんなかたちで願いが叶うとは。
近縁種に「タイワンオオヒライソガニ」というのもいるが、特に雄での識別が難しく、採集した個体が
「タイワン」か「ノーマル」かは分からない。

この日は他にも嬉しい出会いがあったのだが、午前中の短時間の探索でスナアカネとオオヒライソガニ
というふたつの憧れを手に出来ただけで充分満足。

その他の嬉しい出会いについては後日。








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by brunneus | 2017-10-28 01:20 | つぶやき | Comments(0)
2017年 10月 18日

大秘密時代

ほとぼりが冷めたので、そろそろアップ。
全国的な流行に乗って、実は10月11日に都内でスナアカネを採集していた。神奈川まで入っている
ので、都内でも見つかるはずだ、と踏んでいたのだ。

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一か八かの探索だったが、運が味方をしてくれたようだ。

















なんてことを、いけしゃあしゃあと書きたいものだ。
もちろんこの画像はスナアカネなんかではなく、ナツアカネ雄の画像をちょこっといじっただけ。

ネット上で「スナアカネ」と検索すれば沢山の画像が出てくるが、当然地名は書かれていない。スナア
カネは恐らく神奈川以北にも入っているだろう。そして既に撮影、採集している人もいるのだろう。し
かし、それをリアルタイムにブログやSNSに出す人はいない。あるいは、出すとしても検索キーワード
に引っかからないような、巧妙な方法で出す。誰もが情報拡散を恐れている時代なのだ。
大切な情報は、信用のおける、ごく身近な人間にしか伝えない。メールやLINEなどの個人的なツール、
もしくは直接会って伝える。

オープンなオンライン空間の、「事実を伝達する」という役割は、既に終わったのかもしれない。
貧しい自分自身の生活と頭の中を「インスタ映え」のする写真で覆い隠す若者たちのように、フィクシ
ョンの世界がどんどん増殖してゆく。本当のことは、オンライン空間では言わない。皮肉なことに、イ
ンターネットが身近になればなるほどそこには虚構が広がり、逆に事実やリアルさを求める人々は、
秘密に溢れたオンライン空間から離れてゆくのかもしれない。

自分にとってブログを読む楽しさは、他人の体験や頭の中をこっそり覗き見しているような感覚にある。
このブログを始めた当初も、他人が偶然このブログを発見した時に、そのような気持ちになってもらえ
るような、非常に個人的なものにするつもりだった。しかし時代がそうはさせてくれない。
結局、始めた頃とはまったく別のものになってしまったわけだが、、。
さて、どうしようか。










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by brunneus | 2017-10-18 00:43 | つぶやき | Comments(0)
2017年 10月 09日

マダラヤンマ考

マダラヤンマは、一般的には海岸近くの抽水植物が繁茂した開放的な池沼に棲息する、とされている。
言わば「低地のヤンマ」で、北関東以北の産地は概ねこの条件に合致すると思う。震災で被災した東北
の太平洋岸地域に雨水が溜まり、そこへガマなどの抽水植物が侵入、数年でマダラヤンマ天国が出現し
た事実は有名だ。

そこでこのペア。

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恐らく、国内のマダラヤンマの産地で最も標高が高い地域で得た個体。
マダラヤンマは、不思議なことに中部地方では内陸部の山岳地域に分布している。中部地方に限って言
えば、「山地のヤンマ」ということになる。
この二面性がマダラヤンマを魅力的にしているのだが、なぜこのような分布上の矛盾が起きるのだろう
か。
ヒントになったのは、中部地方のいきつけの場所。上のペアを得た場所でもある。
このポイントは開放的な池が点在するオオルリボシヤンマが多い環境だ。しかし訪れるたびにマダラヤ
ンマが飛ぶのを見、一度だけだが雌の産卵も確認している。初めて見た時は、全くの想定外で何かの間
違いかとも思ったが、どうやらそうではないようだ。

ちなみに環境はこんな感じ。

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マダラヤンマは移動性が強い種なので、ふらっと本来の生息地ではない場所に現れることはあるが、気
になったのは雌の産卵。マダラヤンマの雌は、生きた植物には産卵せず、水面に浮いたり斜めに傾いた
枯死部分に産卵する。雌は、こうした充分に水に浸かって軟らかくなった枯死組織を好むのだろう。
もしかしたら軟らかい枯死植物があれば、「繁茂する抽水植物群落」は必要ないのではないか?

移動力が強いことと、軟らかい枯死組織を好むこと。そこで妄想してみる。

マダラヤンマは、かつて日本が寒冷だった頃、各地に広く分布していた。
持ち前の移動力を駆使し、低地から山地まで、我が世を謳歌していた時代があった。しかし温暖化が始
まり、ギンヤンマなど競合種が侵入して分布域が狭まったが、まだ戦前までは都内などにも生息地があ
った。その後、平地にある池や湿地が徹底的に潰され消滅。結果的に、未だ灌漑用に活かされている溜
め池が多く点在する中部地方の山岳地帯に生き残った、、。

思いつきをコラージュしただけだが、こんなふうに、ロマンのある戯れ言をこねくり回すのが好きだ。

そんなマダラヤンマのシーズンも、もうすぐ終わる。





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by brunneus | 2017-10-09 22:02 | つぶやき | Comments(0)
2017年 09月 17日

呪われた木曜日

マダラヤンマの季節。
今年も、虎視眈々と決行するチャンスを窺っていた。
休みの日と晴天予報がまんまと一致した日。早朝に家を出る直前に念のため再度予報を見て、晴れマー
クがずらりと並んでいるのを確認してから電車に飛び乗った。
そして、現地で待っていたのはこんな空。

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これは何かの間違いだろうか。それでも来てしまったからには、やるしかない。竿を出して、入水する
のを待っていたかのように、さーっと雨が降り出す。
午後になり、ようやく太陽が顔を出すが、今度は西から強烈な風が吹き出し、いっこうに止む気配がな
い。例えて言うなら、80キロ程のスピードを出した車から顔を出した時に額を打つ風が、常に吹いて
いる状態。この風で、辛うじて飛んでいたオオルリボシもどこかへ行ってしまった。
夕方になると風は止んだが一気に気温が下がり、ヤンマどころかアカトンボも姿をみせず、最後は突如
発達して接近してきた雷雲に巻かれ、豪雨で強制終了。

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トンボがいない水面をひたすら眺め続けた一日。
今年は休みの木曜日が定期的に悪天になる循環が続いていたが、この期に及んで再び悪天。しかも予報
で晴天が確約されていたはずなのだ。呪われた木曜日と言うほかない。

当然ながらマダラヤンマも少なく、一日通して目撃したのは雄は4匹ほど。辛うじて雌を一匹手にでき
たのは不幸中の幸い、というか奇跡に近いのかもしれない。

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そろそろ厄払いに行くべきだろうか。







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by brunneus | 2017-09-17 13:39 | つぶやき | Comments(0)
2017年 06月 25日

パール

春から初夏にかけては白い花が目立つ季節だが、そんな花をよく見ると小さな甲虫が集っている。
その甲虫が白っぽければ迷わず手に取り、裏返してみる。

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久々に登場のアシナガコガネ。
どこにでもいる普通種のようだが、なぜか自宅近くでは目にしたことがない。
なんと言ってもこの小さなコガネムシの魅力は、腹側。真珠色の光沢を帯びた鱗粉をまとい、なんとも
美しい。

トンボの不調が続くなか、例年になく雑多な昆虫に目を向ける機会が多くなった。その中には新しい発
見もあるので、トンボ不調もまんざらでもないな、と前向きに捉えるようにしている。


さて南方遠征。
ここで一気に不調を吹き飛ばせるのか、あるいはさらなる不調が待ち構えているのか、、。







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by brunneus | 2017-06-25 12:56 | つぶやき | Comments(0)
2017年 06月 07日

よるのスケッチ

春のサナエの姿を見ないまま、ついに関東が梅雨入りしてしまった。

採集にも行けないので、文章によるスケッチを垂れ流してみる。
ネットの世界では、他人の採集ブログの文体をコピーして喜んでいる物好きもいるようだが、自分に
とって文章を書くという行為は、完全なるストレス解消だ。
思い浮かんだ様々な心象を、スケッチブックにクロッキーするように、書きなぐる。

例えばこんなふうに。


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微かに潮騒が聴こえる、こじんまりとした部屋。窓の外からはホオグロヤモリの控えめな鳴き声。
天井では古いエアコンが静かに唸る。隣の家から聴こえるテレビの音と、開け放しの薄いカーテン越
しのオジイの禿げ頭。海からの風でフクギの葉がかさかさと鳴る。

「わたし、この街から出たことがないの」

目の前で泡盛のグラスを揺らす赤い口紅の女が言った。

「でも沖縄にはいつか行ってみたいな」

女が次の言葉を探す間、僕の意識は気怠い夜のやんばるにあった。

シャワーを浴びた髪がまだ乾かないまま、宿の玄関を出ると、もったりとした亜熱帯の風が全身に絡
み付く。自販機のモーター音。スナックから響く、調子っぱずれの沖縄民謡。
街を外れると、そこにあるのは圧倒的な闇。そこにじっと佇むと、自分という存在にだんだん自信が
持てなくなる。闇との境界線が曖昧になり、溶けてなくなりそうになった時、轟音と共に、出し抜け
に車の暴力的なライトが目の前に現れ、我に返る。

「もう夜の仕事は辞めて、まともな所で働こうと思うんです」

さっきまでヒラヤチーが並んでいた皿に、箸の先で意味のない図形を描きながら女は言う。

「まともな時間に起きて、まともな人たちと仕事をして、まともな時間に寝る。そういう生活に戻り
たいの」

それは結構。おおいに結構。反対する理由はどこにもない。こうして、僕が属する世界は少しずつま
ともになって行くのだろうか。もしかしたら目の前にいる女と逢うのは今日が最後になるのかもしれ
ない。その時、ふとそんな予感がした。

暗闇を抜けて、潮騒の方へ歩き出す。
目の前にぼうっと浮かびあがる防波堤の上に登り、仰向けに寝転ぶ。頭上には夥しい数の星が、まる
で両手一杯の砂粒を思い切りぶちまけたように散らばっている。そんな星々を眺めながら、東京のこ
とを考える。東京の郊外の、線路沿いの小さな沖縄料理屋のことを考える。古ぼけたテーブルの向か
いに座る、赤い口紅の女のことを考える。

千五百キロの距離を経て、東京と沖縄の意識が交差し、ひとつに混じり合う。
赤い口紅の女の向こうから、夜のやんばるの潮騒が聴こえてくる。








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by brunneus | 2017-06-07 21:00 | つぶやき | Comments(0)