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2013年 03月 25日

加速する

高知ではムカシトンボが羽化。そしてシオヤトンボが成熟。

東京の桜も散り始めている。
仲間はスギカミキリを次々に採集している。まだ手にしたことがないので、焦る。

春は加速しながら目の前を通り過ぎてゆく。
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by brunneus | 2013-03-25 22:30 | つぶやき | Comments(0)
2013年 03月 16日

意表をついて

高知で10日、タベサナエとシオヤトンボが羽化したという。

まだまだオフの気持ちでいたのだが、
ついに日本列島(九州以北)は成虫シーズンに突入したようだ。
まだ桜の花が硬く蕾を閉じた東京の風景からは、まったく実感が湧かない。

それに合わせたわけではないが、垂れ流しで書いたトンボの物語が読みにくかったので、
少し手を入れた。
この物語はフィクションでもあり、自分の過去の体験を元にしたノンフィクションでもある。
文字として定着させることにより、より記憶が鮮明に脳に刻まれるのだと思う。


ものがたり・その1
ものがたり・その2
ものがたり・その3
ものがたり・その4
ものがたり・その5
ものがたり・その6
ものがたり・その7
ものがたり・その8 終わり


東京のトンボ羽化は再来週あたりかもしれない。
急速に季節は進行している。

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by brunneus | 2013-03-16 12:27 | つぶやき | Comments(0)
2013年 03月 16日

ものがたり・その8 終わり

 宿へ戻ると、オバアは薄暗い居間で扇風機の脇で寝転がっていた。起こさぬように部屋
へ戻り、荷物を整理して東京へと帰る準備をする。僅か一泊だけの殺風景な部屋だっだが、
去るとなるとどこか名残り惜しさを感じてしまう。
 ちょうど玄関に荷物を運んでいるときにオバアが起きてきたので、会計をしながら今朝
のおにぎりのお礼を伝えると、そんなことはまるで憶えていないような、きょとんとした
顔をしていた。

 さて、これからどうしよう。名護行きのバスまでは時間がある。別のポイントで大きな
荷物を担いで歩きまわる気もしない。そう思うと、足は自然と海の方角へと向かっていた。
 
 街には人影がない。この殺人的な暑さの中をふらふら歩き回るのは、内地から来た人間
くらいなものだ。夏の昼間の沖縄は、奇妙な眠気に包まれている。
 フクギの僅かな日陰を伝いながら海岸通りに出て、防波堤を乗り越えて海岸へと出る。
ここにも人影はない。そして聞こえるのは打ち寄せる静かな波の音、耳元をくすぐる潮風
の音。
 あたりを見回すと都合よく東屋の残骸があったので、その日陰に荷物を置き、服を脱ぐ。
そして波打ち際へ最初の一歩を踏み出した瞬間に、靴を履いてこなかったことを後悔した。
砂がここまで熱いとは思わなかったのだ。
 つま先が最初の波に洗われると、今度は水の冷たさに驚き、先へ進むことを少し躊躇し
てしまう。しかし、膝、腰、胸と徐々に水没してゆくと、海水は心地よい暖かさとなって
全身を包み込んだ。

 海岸からしばらくは浅い砂底が続いているが、木の杭が立つ先からは、水が深い青色に
変色し、今までとは打って変わって凶暴な潮の流れが渦巻いているように見える。時おり、
その青い海水の中を黒い大きな魚影が見え隠れしている。沖合を見ると、小さな漁船がゆ
っくりと通過するところだった。
 暖かい海水にゆらゆらと浮かびながら、眼を閉じる。眩しいオレンジ色で満たされたの
瞼の裏側を見つめていると、頭の中がぼうっとして、何も考えられなくなる。亜熱帯の日
差しは、思考停止を促す作用があるのかもしれない。小さな機械音に眼を開けると、はる
か上空で旅客機が小さな飛行機雲を引いていた。あれはこれから那覇空港に向かう便なの
だろうか。そういえば、昨日の朝も、那覇に到着する少し前に、窓から沖縄本島北部がよ
く見えた。機内から島影の海岸線を見下ろす自分と、その海岸で海に浮かびながら上空を
見上げる自分が、意識の中で交差する。
 
 睡魔にも似た朦朧とした意識を抜け出して、海岸へと水中を進む。足元の小さな岩の陰
には、どきりとするほど鮮やかな青色をした小さなスズメダイが群れている。ゆらゆら漂
っているようで、手を伸ばすとさっと四方に散ってしまう。岩の奥を覗き込むと、大きな
半透明の魚が佇んでいた。
 岸辺に足を持ち上げると、全身が鉛のように重い。宇宙から帰還したパイロットはこん
な状態なのだろうか。やっとのことで東屋に辿り着き、しばらく海風に晒して身体を乾か
す。皮膚から蒸発する気化熱が心地よい。
 すっかり乾いたつま先を眺めていると、再び腹が減ってきた。そういえば、オバアと玄
関先で立ち話をしている時、海岸通り沿いに旨い食堂がある、と言っていた。服を着て、
話の記憶を頼りに海岸通りを歩く。

 漁港の入り口に真っ赤なコカ・コーラの自動販売機があった。そしてその食堂は、自動
販売機の後ろに隠れるように佇んでいた。木造平屋の小さな店の外壁は、あますところな
く塗装が色褪せ、「波止場食堂」という看板も半ば崩れかけていた。真っ暗な店内は外か
らでは様子が分からず、人影もない。しかし、AMラジオの音が中から僅かに漏れている
ことで、どうやら営業しているらしいことは判明した。
 パラソルが無造作に刺さる外のテラス席に、地元の女子中学生が並んでアイスを食べて
いるのを見ていなければ、とても中に入る勇気はない。
 
 おそるそる薄暗い店内に入ると、驚いたことに真っ黒に日焼けしたオジイが4人も食事
をしていた。外からはまったく姿が見えなかったのだ。狭い店内の小さなテーブルに男が
4人も座っていると、息が詰まりそうだ。
 壁に掛けられたメニューの中から「チャンプルー定食」を選び、カウンターの向こうの
店主の背中に声をかける。店主は無愛想だと思っていたが、意外に明るい返事が返ってき
たことに、少し安心した。
 店内は座る場所もないので、女子中学生を避けてテラスに座る。しばらく漁港のフェン
スをぼうっと眺めていると、チャンプルー定食が運ばれてきたが、その異様な雰囲気にぎ
ょっとした。全ての食器の縁から、食材がうずたかく積まれている。最初の箸の置き所を
間違えれば、すべてテーブルの上に崩れてしまいそうな絶妙なバランスで自立しているの
だ。腹は減っているが、この光景を見ると若干食欲が減退するのを感じる。しかし勇気を
持って慎重に最初のゴーヤの一片をつまみ、口の中へと運ぶと、爽やかな苦みと共に鰹と
ポークの風味が身体に染み渡る。
 うまい!
 結局、あれよと言う間に完食していた。


 バスの時間が迫っている。
太陽は僅かに位置を西に移しただけで、一向に勢力が弱まる気配がない。再び重い荷物を
担いで、死んだように静かな街を歩くと、海に流したはずの汗がまた全身から吹き出して
くる。

 バスターミナルに到着すると、既にバスはエンジンをふかしていた。色褪せた車内に乗
り込むと、油臭い強烈な冷房が瞬時に汗を奪う。他に乗客はひとりもいない。
 定刻をやや過ぎて、バスは砂埃を巻き上げながら、小さな街の、小さなバスターミナル
を後にした。


 いつものことだが、東京から那覇に降り立つと、その素朴でありながらエネルギッシュ
な亜熱帯の空気が眩しく、日本の外れに来たことを実感する。しかし沖縄の田舎で長い時
間を過ごしたあとの那覇の街は、東京と何ら変わりのない都会に思え、興醒めしてしまう。
空港で手荷物を預けたあとで時間を潰しに歩いた夕暮れ迫る那覇の街は、やはり今回も埃
にまみれて、来た時の輝きを失っていた。
 しかし、猥雑な国際通りから少し入った古い住宅街には、沖縄の気配があちこちに残っ
ている。唐突に出現するガジュマルの大木や、色褪せた赤瓦の屋根。そしてコンクリート
で覆われていない、あらゆる隙間を覆い尽くす亜熱帯の植物。街中を歩くと、見るもの全
てに生命の静かな息づかいを感じるのだ。
 古い住宅街を彷徨いながら、風景を瞼の奥にしっかりと焼き付け、身体の隅々まで瑞々
しい空気を染み渡らせる。
 


 夕闇が迫り、那覇の街は人の気配が濃くなってゆく。その人いきれに押し出されるよう
に、那覇空港行きのモノレールに乗車した。

 空港の窓からは、遠く霞む慶良間列島に沈む太陽が、今日最後の光を投げかけているの
が見えた。
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by brunneus | 2013-03-16 01:06 | つぶやき | Comments(0)
2013年 03月 14日

ものがたり・その7

 水中のあまりの居心地のよさにトンボのことなどどうでもよくなりそうになるが、そろ
そろ林道の様子が気になるので、ぐっしょり濡れて重くなった衣服とともに岸から上がっ
た。

 相変わらず上空を点々と翅が黒いカラスヤンマの雌が漂っているが、道脇の空き地の上
を、カラスヤンマとは違う大型のトンボが旋回しているのが見えた。翅は透明だが、カラ
スヤンマの雄とは何かが違う。
 胸騒ぎがして、竿を持って空き地へ入る。空き地と道との境界には灌木が茂り、ハブの
姿が一瞬脳裏を掠めたが、毒蛇に咬まれる恐怖よりも、謎のトンボの正体を確かめたい気
持ちの方が勝っていた。
 灌木をかき分け空き地に入ると、眩しい朝日が視界を遮る。手をかざし、目を細めなが
ら周囲を見回すと、すぐ先の灌木の上を、日光に白く翅を輝かせながらトンボが忙しなく
旋回しているのを見つけた。灌木の下に駆け寄ると、青空を背景に微かに翅の前縁に褐色
の筋が見える。そして時々きらっと日差しを反射する、太い腹部。あのトンボは、、、。

 心臓の音が喉元で大きく波打ち、周囲の音は意識から遠のいてゆく。竿を握る手にはじ
っとりと粘り気のある汗が滲み、口の中が乾く。
 トンボは無警戒に梢を旋回している。しかしやっかいな所を飛んでいるものだ。灌木が
邪魔になっていて、トンボが梢のこちら側に来た一瞬に竿を振らなければならない。竿の
先のネットをそろそろと梢の下に持っていく。あとはトンボがその上にやって来た瞬間に
振り上げればよいのだが、トンボは絶妙にネットからずれた場所を飛んでいる。それでは、
とネットを移動させると、再び元の場所に飛んでくる。何回か振るタイミングはあるのだ
が、このチャンスが最初で最後かもしれないと思うと、躊躇してしまう。中途半端にネッ
トを振ると、トンボを警戒させてしまうのだ。思い切り振るか、振らないかだ。
 次にトンボが見えた瞬間に振ろうと決めた。じりじりと日差しが肩や首筋を焼く。突き
出したままの竿の重みが次第に腕の疲労を呼ぶ。同じ体勢を維持するのが辛くなってきた
時、トンボのシルエットが梢の手前に滑りこんできた。

 ひゅん

 風を切る竿の音が青空に吸い込まれた。ネットにトンボが入る音は聞こえなかったが、
空にはトンボの姿は無い。そのまま惰性で大きく竿を回転させ、空き地の地面に伏せる。
ネットに駆け寄ると、白いメッシュの中に、黒っぽいトンボの影が透けて見えた。肩から
力が抜けていく。ネットの中にそっと手を入れ、トンボを取り出す。トンボを持つ手が震
えている。手の中にいたのは、オキナワミナミヤンマの雌だった。
 あたりはクマゼミの唸り声が渦巻いている。

 最後にこのトンボを見たのは何年前だろう。当時は今のように長い竿を持っていなかっ
たので、一緒にいたトンボ仲間の竿を借りて採らせてもらったことを憶えている。
 それ以来、毎年同じ時期に沖縄を訪れるたびにこのトンボへの淡い期待を抱いているの
だが、運がないのか、探す眼が悪いのか、出会うことすら叶わなかった。出会いはいつも
唐突で、それを逃すと次は無いのだ。
 


 腹が減っていることに気付いたので、今朝オバアにもらった紙袋を開ける。森の熱気で
紙はべっとりと湿気っていたが、ゲットウの葉に守られたジューシーおにぎりは、炊きた
てのように新鮮な香りを放っていた。卵焼きにくるまれたおにぎりを頬張りながら、どこ
までも青い空間をぽつりぽつりと飛ぶカラスヤンマを見ていると、急速に気持ちが満たさ
れてゆくのを感じた。
 
 おにぎりを食べ終えると、この場所でやるべきことはもう無いように思えた。
まだ時刻は正午前。撤退するには少し早い気もするが、荷物をまとめ、自転車を押しても
と来た林道を戻る。海へと続く下り坂を潮風を受けながら走ると、見渡す風景は朝とはま
るで違うものに見えた。
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by brunneus | 2013-03-14 00:32 | つぶやき | Comments(0)
2013年 03月 03日

ものがたり・その6

 部屋へ戻ると、宿のオバアはもう起きていた。
 これから向かうポイントは、徒歩では遠すぎる。タクシーはこの地域にはないことは事
前に分かっていた。唯一の移動手段は自転車なのだ。

「すみません。あの、自転車を貸して頂けないでしょうか」

「あ?自転車?あるよあるよ。ちょっと待っていなさい」

 小肥りの、眉毛の濃いオバアはそう言い残すと、勝手口の裏へ消えた。

「はい、これが上等さあー」

 オバアが引いてきたのは、確かに自転車だった。しかし、それは自転車を使うに当たっ
ての機能の大部分が何らかの問題を抱えているだろうことは、一見して分かった。
 金属の部分はことごとく潮風で錆び、ブレーキを握ってもレバーはびくともしない。所
々にへばり付く塗装の残骸で、元々は鮮やかなペイントが施されいてたことが分かる。タ
イヤは空気が抜け、ごわごわと不快な音がする。シートが低いので高さを調節しようとし
たが、ネジが錆び付いていて全く動かななかった。この自転車で延々国道を走ることを考
えると、少し気分が落ち込んだ。

 部屋へ戻り、準備を整えて自転車にまたがると、がらがらと玄関を開ける音がして、オ
バアが駆け寄ってきた。何か自転車に問題でもあるのだろうか。

「これを持っていきなさい」
 
 オバアはそう言い、おもむろに手にした紙袋を差し出した。紙袋はずっしり重い。中身
を見ると、ゲットウの葉に包まれた、大きなジューシーのおにぎりが入っていた。


 太陽は既に水平線上に昇り、海岸沿いを走る国道に容赦なく熱を帯びた光を浴びせてい
る。しかしまだ光の威力は弱く、海風が吹くのでさほど苦しくはない。それよりも、いく
ら漕いでも一向に前進していない錯覚に陥るほどに遅い自転車に苛立つ。日差しで長靴が
熱せられて、足が燃えるように熱い。
 永遠にも思える国道から分岐すると、ポイントがある谷間が見えてきた。サトウキビ畑
を抜け、森の中に入ると鼻先を甘い香りがくすぐる。花のように甘ったるくはなく、どこ
かシークヮーサーのような、輪郭のはっきりした香り。沖縄の森に来るといつもこの香り
がするのだが、その発生源はいまだに分からない。
 道はくねくねと曲がりながら、谷の奥へと入ってゆく。時々、全身を金緑色に輝かせな
がら、リュウキュウツヤハナムグリが通り過ぎる。林道は一旦上り坂になり、再び下ると
目的のポイントに到着した。
 
 ポイントは川沿いに開けた空間で、周囲はまるで密生したブロッコリーのような亜熱帯
の常緑樹の森にぐるりと囲まれている。そしてそこから響く、クマゼミの唸るような合唱。
ひとつひとつの音は掻き消され、森全体が唸るような音波を発している。そして時々、近
くで遠くで聞こえるリュウキュウアブラゼミのヒステリックな叫び声。空高く昇った太陽
の熱と光の圧力に曝されながら、セミたちが発する音を聞いていると、まるで亜熱帯の森
が自分に向けて全力で威嚇しているような敵意さえ感じる。
 亜熱帯の森の熱と音の攻撃に堪えかね、自転車とともに木陰に逃げ込む。リュックから
シークヮーサーのジュースを喉に流し込むと、爽やかな甘味とともに身体の芯が一気に冷
やされていくのを感じる。うまい!
 
 頭上の梢の遥か上空には、黒い点が所々に浮いている。カラスヤンマ。気温が上がると
高いところを飛ぶようになってしまい、手が出せないのだ。時々、視野を猛速で横切る黒
っぽいトンボはリュウキュウトンボだろうか。その向こうをのんびり飛ぶ大きく華奢なシ
ルエットは、カラスヤンマの雄だ。

 しばらく上空を眺めていたが、トンボの状況に変化はない。じわじわと皮膚から熱波が
体内に侵入し、体力を奪っていくのを感じる。身体を冷やす必要があった。
 川へ下り、水面の乱反射に目を細めながらじゃぶじゃぶと対岸へ渡る。岸辺の草にはベ
ニトンボのピンク色が翻り、水面に目を凝らすと燃えるような深紅のアカナガイトトンボ
が滑るように飛び回っている。木陰にちらちら見えるのは、リュウキュウルリモントンボ
の鮮やかな青色。そしてその上を、涼やかな空色のリュウキュウアサギマダラがふわりと
舞う。色とりどりの光と色の洪水に、しばし見とれる。
 荷物と長靴を岸に置き、裸足で川の中に入る。Tシャツを脱ぎ、澄んだ川水に浸し、そ
れを頭から被る。びっくりするほど冷たい水が全身を伝い、言いようのない心地よさに包
まれた。
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by brunneus | 2013-03-03 00:10 | つぶやき | Comments(0)
2013年 03月 01日

ものがたり・その5

物語の続き。

前回までの物語

ものがたり・その1
ものがたり・その2
ものがたり・その3
ものがたり・その4



七月二日

 午前五時半。
 金属的なアラームの音で目を覚ますと、所々に染みがある天井の木目に、ホオグロヤモ
リがへばりついていた。夜中じゅう、耳元できょっ、きょっ、と鳴いていたやつだ。窓の
外はまだ暗い。宿の硬い布団のせいか、効きすぎた冷房のせいか、昨夜は熟睡できなかっ
た。泥のように重い身体を引きずり、ぎしぎしと軋む暗い廊下の先にある洗面所へ向かう。
ぬるい水道水で顔を洗い、鏡に写った浮腫んだ顔を眺めながら歯を磨く。今日一日のスケ
ジュールを整理したいが、うまく頭が働かない。腹は減っているが、まったく食欲がない。

 部屋に戻り、事務的に昨夜買っておいたポーク卵のおにぎりを口の中に放り込む。テレ
ビをつけると、早朝のニュース番組をやっていた。天気予報が見たかったのだが、画面か
らの情報の洪水に耐えられず、すぐに消した。気を抜くと座ったまま眠ってしまいそうだ
ったので、力を振り絞って荷物をまとめる。
 静かな、初夏の沖縄の民宿の部屋の中に佇んでいると、あと十数時間後には東京にいる、
という事実がとても受け入れられない。東京、という概念自体が、一時的に頭の中から消
え去ってしまったのだろうか。友人や仕事といった細部は憶えているのだが、東京、とい
う漠然とした言葉からは何もイメージできなくなっていた。このままここにずっといたら、
仕事や友人さえも頭から消え失せてしまうのだろうか。
 そんなことをぼんやり考えているうちに、窓の外が明るくなり始めているのに気付き、
慌てて竿を掴み部屋を飛び出す。

 外に出ると、海からの程よく冷えた風が頬を掠める。空は群青色。頭上に夜の名残りの
星がひとつ。静かだ。
 いつもと同じように、国道脇の空き地から始める。背後に山が迫った、まばらに草が生
えた空き地。空は刻々と明るさを増し、夜から昼への脱皮の準備をしていた。空き地の入
り口に立ち、ネットを竿に取り付けて周囲の気配に神経を集中させる。すっかり意識は覚
醒していた。
 犬を連れたオバアが歩道を歩いている。犬は雑種。そういえば、沖縄に来てから初めて
犬を見たかもしれない。見えはじめた時と同じ速度で目の前を通過してゆく人間と犬を見
送った時、歩道脇の松の木の裏側から、真っ黒な影が飛び出して来た。影は狂ったように
もんどり打ちながらこちらへ迫ってくる。カラスヤンマ!
 慌てて竿を振ったが、黒い影はひらりとネットを避けてブロック塀の向こうへと消えた。
一瞬の出来事に、消えた塀のあたりを呆然と見つめる。どうやら飛び始めたらしい。いつ
も最初の一匹の出会いは唐突で、採り逃がしてしまうのだ。

 国道を横断し、街中へと入る。家々はまだ深い眠りの中で、物音ひとつしない。排水の
臭い漂う路地の隙間。庭のハイビスカスの裏側。屋根の上のシーサーの向こう。駐車場の
隅。空き地の雑草。国道沿いの小さな街を彷徨いながら、黒い影を探す。まだこの時間は
涼しいが、歩き回るとじっとりと汗が吹き出してくる。
 シャッターが閉まった雑貨屋の前を通りかかると、すぐ先の角を、さっと黒い気配が曲
がった気がした。曲がったあたりに駆け寄るが、何もいない。振り返ると、横の民家のべ
ランダの向こうへ消える影がはっきり見えた。いた!民家の反対側へ先回りすると、影は
海岸通りへと真っ直ぐ続く細い路地を飛んでいる。全力で追いかけるが、影はゆっくりと
飛んでいるにもかかわらず、一向に距離が縮まらない。そして結局、追いつくことができ
ずに海岸通りに飛び出してしまった。植え込みの向こうで、驚いた犬が猛烈に吠えている。
 また見失ったか、、。息を整え諦めて戻ろうとすると、海岸に生えたアダンの葉先に、
ちらっと黒い物が見えた気がした。気のせいかと思いつつも、さくさくと砂を踏んで海岸
へ出ると、そこにひろがる光景を見て背筋に電流が走った。

 黄金色に静かに輝く東シナ海を背景に、真っ白い砂浜の上を、いくつもの黒い影が漂っ
ている。そこだけ空間が固定されたように、ぴたっと空中に静止して動かない。しかしよ
く見ると、黒い翅を小刻みに動かし、滞空飛翔しているのが分かる。山奥の渓流に生まれ、
亜熱帯の森を飛び回るトンボが、早朝の波打ち際を漂う風景の不思議。
 竿を手に、一番近くを漂う影に向かって歩き出す。足音に驚いた大小のヤドカリが、歩
くたびにころころと転がる。影は、その真下に入っても少しも警戒する様子もなく、頭上
を静かに漂っている。そろそろと竿を伸ばし、影のすぐ下にネットを近づける。ひゅんと
いう軽い音とともに、青空から黒い影が消えた。
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by brunneus | 2013-03-01 13:24 | Comments(0)