トンボの日々

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2017年 06月 07日

よるのスケッチ

春のサナエの姿を見ないまま、ついに関東が梅雨入りしてしまった。

採集にも行けないので、文章によるスケッチを垂れ流してみる。
ネットの世界では、他人の採集ブログの文体をコピーして喜んでいる物好きもいるようだが、自分に
とって文章を書くという行為は、完全なるストレス解消だ。
思い浮かんだ様々な心象を、スケッチブックにクロッキーするように、書きなぐる。

例えばこんなふうに。


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微かに潮騒が聴こえる、こじんまりとした部屋。窓の外からはホオグロヤモリの控えめな鳴き声。
天井では古いエアコンが静かに唸る。隣の家から聴こえるテレビの音と、開け放しの薄いカーテン越
しのオジイの禿げ頭。海からの風でフクギの葉がかさかさと鳴る。

「わたし、この街から出たことがないの」

目の前で泡盛のグラスを揺らす赤い口紅の女が言った。

「でも沖縄にはいつか行ってみたいな」

女が次の言葉を探す間、僕の意識は気怠い夜のやんばるにあった。

シャワーを浴びた髪がまだ乾かないまま、宿の玄関を出ると、もったりとした亜熱帯の風が全身に絡
み付く。自販機のモーター音。スナックから響く、調子っぱずれの沖縄民謡。
街を外れると、そこにあるのは圧倒的な闇。そこにじっと佇むと、自分という存在にだんだん自信が
持てなくなる。闇との境界線が曖昧になり、溶けてなくなりそうになった時、轟音と共に、出し抜け
に車の暴力的なライトが目の前に現れ、我に返る。

「もう夜の仕事は辞めて、まともな所で働こうと思うんです」

さっきまでヒラヤチーが並んでいた皿に、箸の先で意味のない図形を描きながら女は言う。

「まともな時間に起きて、まともな人たちと仕事をして、まともな時間に寝る。そういう生活に戻り
たいの」

それは結構。おおいに結構。反対する理由はどこにもない。こうして、僕が属する世界は少しずつま
ともになって行くのだろうか。もしかしたら目の前にいる女と逢うのは今日が最後になるのかもしれ
ない。その時、ふとそんな予感がした。

暗闇を抜けて、潮騒の方へ歩き出す。
目の前にぼうっと浮かびあがる防波堤の上に登り、仰向けに寝転ぶ。頭上には夥しい数の星が、まる
で両手一杯の砂粒を思い切りぶちまけたように散らばっている。そんな星々を眺めながら、東京のこ
とを考える。東京の郊外の、線路沿いの小さな沖縄料理屋のことを考える。古ぼけたテーブルの向か
いに座る、赤い口紅の女のことを考える。

千五百キロの距離を経て、東京と沖縄の意識が交差し、ひとつに混じり合う。
赤い口紅の女の向こうから、夜のやんばるの潮騒が聴こえてくる。








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by brunneus | 2017-06-07 21:00 | つぶやき | Comments(0)


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